寝る前のマングース

基本寝る前に書いてます。

忙しさと自己肯定感について

日々病み散らかしているだけでは芸がないので、ブログ形式にして言語化能力の向上を図ることにしました。
今回は忙しさと自己肯定感についてです。

自己肯定感というものは基本的にその時自分に余裕があるかによって程度が変わってくるものだと思います。では、その余裕というものは「忙しいときは余裕がなく、暇なときは余裕がある」と、そう単純に述べられるものなのでしょうか。

私は1浪期間を経て大学に入学しているので、1年の4月から6月は待ちに待った大学への期待や慣れないことに対する新鮮な感情にいつもわくわくしていました。まあふたを開けてみると現実はコロナでのオンライン授業化によってずっと自宅に籠りきりだった訳ですが。そして大学生活最初の夏休みである1年の8月から9月の時期には、

①夕方に起きてご飯を食べる
②起きてる時間はキングオブコント(毎年10月に決勝戦が行われるコントの全国大会)の実況スレを漁る
③12時に布団に入る
④朝5時まで考え事をしてしまって眠れない
⑤次の日も夕方に起きる

という鬱病みたいな毎日を過ごすようになっていました。この時期していた考え事は、確か「将来に対する不安」「友達とは」「昔の楽しかった思い出」「忙しそうにしている友達への嫉妬」みたいな内容だったと思います。今でも結構自分が不安定だという自覚はありますが、この頃が一番精神的に不安定だった気がします。特に何かすべきことがあるわけではなく時間的余裕にあふれていたこの時期でも、精神的余裕はなく自己肯定感も低かったわけです。

では、暇なときに余裕が生まれないのであれば、忙しいほうが逆に余裕が生まれたりするのでしょうか。
そんなわけありません。何かに追われているとき、人は鬼になります。

結論から言うと、高い自己肯定感や余裕というものは「生きがい」の有無によって左右されると思います。
僕の場合だとお笑いを頑張っていた時期やサークルの渉外担当として好きなことさせてもらっていた時期は不安定になることこそあれど、自己肯定感が低くなることはあまりなかった気がします。実際周りの人にもこの時期の僕はとても楽しそうだったと言われました。(任期が終了した後はその反動が来たみたいに病みましたが)
僕の周りの人でも、部活動でパートリーダーなどを頑張っていた時期や、大事にしたい人(親友たちや恋人)と仲良くやっている時期、実機や何か一つのことに打ち込んでいる時期がその人自身とても輝いていたと話す人もいました。僕が見てきた中でも、そういう人はとても輝いているように見えます。

暇なタイミングは余計な事を考えてしまいますし、何かに打ち込んでいる人は余計なこと考える暇ありませんし、友達とわいわいやっているときは余計なこと考えることもありませんからね。それで言ったら僕の場合サークルのdiscordが1年の後期はとても支えになりましたね。2年の後期も別サーバーではありますがかなり助けられた気がします。人と話していたら病みませんから。

話が広がってきたのでまとめると、
・暇すぎたり忙しすぎたりすると病む
・自己肯定感を高くするには「生きがい」が必要
・「生きがい」は何かにうちこんだり、人とのコミュニケーションによって得られる
今回の話はこんな感じだったと思います。もうちょっと書きたいことあった気がしますがもう朝4時なのでここまでにしておきます。
支離滅裂な文章でごめんなさい。

ここ最近の僕の生きがいは同級生や後輩とする麻雀です。ではまた。

忙しさと自己肯定感について

日々病み散らかしているだけでは芸がないので、ブログ形式にして言語化能力の向上を図ることにしました。
今回は忙しさと自己肯定感についてです。

自己肯定感というものは基本的にその時自分に余裕があるかによって程度が変わってくるものだと思います。では、その余裕というものは「忙しいときは余裕がなく、暇なときは余裕がある」と、そう単純に述べられるものなのでしょうか。

私は1浪期間を経て大学に入学しているので、1年の4月から6月は待ちに待った大学への期待や慣れないことに対する新鮮な感情にいつもわくわくしていました。まあふたを開けてみると現実はコロナでのオンライン授業化によってずっと自宅に籠りきりだった訳ですが。そして大学生活最初の夏休みである1年の8月から9月の時期には、

①夕方に起きてご飯を食べる
②起きてる時間はキングオブコント(毎年10月に決勝戦が行われるコントの全国大会)の実況スレを漁る
③12時に布団に入る
④朝5時まで考え事をしてしまって眠れない
⑤次の日も夕方に起きる

という鬱病みたいな毎日を過ごすようになっていました。この時期していた考え事は、確か「将来に対する不安」「友達とは」「昔の楽しかった思い出」「忙しそうにしている友達への嫉妬」みたいな内容だったと思います。今でも結構自分が不安定だという自覚はありますが、この頃が一番精神的に不安定だった気がします。特に何かすべきことがあるわけではなく時間的余裕にあふれていたこの時期でも、精神的余裕はなく自己肯定感も低かったわけです。

では、暇なときに余裕が生まれないのであれば、忙しいほうが逆に余裕が生まれたりするのでしょうか。
そんなわけありません。何かに追われているとき、人は鬼になります。

結論から言うと、高い自己肯定感や余裕というものは「生きがい」の有無によって左右されると思います。
僕の場合だとお笑いを頑張っていた時期やサークルの渉外担当として好きなことさせてもらっていた時期は不安定になることこそあれど、自己肯定感が低くなることはあまりなかった気がします。実際周りの人にもこの時期の僕はとても楽しそうだったと言われました。(任期が終了した後はその反動が来たみたいに病みましたが)
僕の周りの人でも、部活動でパートリーダーなどを頑張っていた時期や、大事にしたい人(親友たちや恋人)と仲良くやっている時期、実機や何か一つのことに打ち込んでいる時期がその人自身とても輝いていたと話す人もいました。僕が見てきた中でも、そういう人はとても輝いているように見えます。

暇なタイミングは余計な事を考えてしまいますし、何かに打ち込んでいる人は余計なこと考える暇ありませんし、友達とわいわいやっているときは余計なこと考えることもありませんからね。それで言ったら僕の場合サークルのdiscordが1年の後期はとても支えになりましたね。2年の後期も別サーバーではありますがかなり助けられた気がします。人と話していたら病みませんから。

話が広がってきたのでまとめると、
・暇すぎたり忙しすぎたりすると病む
・自己肯定感を高くするには「生きがい」が必要
・「生きがい」は何かにうちこんだり、人とのコミュニケーションによって得られる
今回の話はこんな感じだったと思います。もうちょっと書きたいことあった気がしますがもう朝4時なのでここまでにしておきます。
支離滅裂な文章でごめんなさい。

ここ最近の僕の生きがいは同級生や後輩とする麻雀です。ではまた。